黍生( きびゅう)                    [三河] 374m

 

 「黍生」は「きびう」ではなく「きびゅう」と読むらしい。「きびゅう」と声に出してみると、 焼畑で黍を作っているような、寂しげな山里の雰囲気がする。
 しかし、「黍生」は集落の名前ではなく、山名である。300mそこそこの標高の山だが25000分の1の地形図にも載ってい る。地形図を眺めてもこれといった特徴はなく、周りに連なる同じような低山と区別が付かない。紅葉の香嵐渓で知られ る足助の入口にあり、奥三河へ行くときにはいつも近くを通るのだが、どの山だか確認できたことはない。

 だが、黍生は山渓の「分県登山ガイド」にも載っているし、風媒社の「愛知の100山」にも載っている。「何でこんな山がガイドブックに載っているんだろう」と 以前から不思議に思っていたが、香嵐渓の飯盛山のカタクリが咲き始めたと新聞に載ったので、カタクリ見物も兼ねて行って見ることにした。

 国道とは巴川を挟んだ対岸の道路の路肩に車を止めて歩き出す。河原の枯れた葦の茂みからはホオジロの地鳴きが聞こえ、流れにはマガモが浮かんでいる。梅は終わってしまったが、このところの寒の戻りで、桜の蕾はまだ開くのをためらっている。
 橋を渡り、国道を岡崎方面に少し戻ると「黍生城跡」の標識が目に付いた。ガイドブックの道とは違うが、いずれ一緒になるだろうと、谷間の農道に入ってみる。

 狭い谷は棚田になっていて、交通量の多い国道から一歩入っただけで別天地のよう。今森光彦の「里山」の世界だ。しかし、のどかなのはふりそそぐ陽の光だけで、イノシシ避けのトタン板や網が 山裾をぐるりと取り囲んでいて、少々異様な景色だ。柵で囲まれた田んぼで老夫婦が農作業をしていて、おじいさんが耕運機で耕していた。これが現実の「里山」 の姿なんだろうな。

山麓の棚田。この田んぼの中を登ってきた。
 

  左手の尾根の上に土管の標識が立っているのが目に付いたので、あぜ道を通り、柵を跨いで登山道に出る。土管には「黍生山の会」と書いてある。ここからは尾根通しに登っていく。

 落葉樹が杉や桧の植林地に変わり、なおも登ると大きな岩の下から水が流れている。割り竹が刺してあり、水場になっている。

 沢に沿って登っていくと林業用らしき作業道に出る。10mほど左手に歩き、標識に導かれて再び山道に入る。また明るい雑木林に戻り、アカマツが混じるようになってくる。松葉が山道に溜まって滑りやすい。作業道からわずかな登りで山頂だった。

岩の下から湧き水
 

 山頂に着いて思わず「おおっ」と声が上がってしまった。予想外の大展望が開けている。波のようにうねる丘陵地の向こうに猿投山がのびやかに裾野を延ばしている。その稜線の向こうには、最近の雪でやっと白くなった伊吹山が霞んで見える。
 

猿投山の左端に白い伊吹山が覗く
 

 目を凝らせば名古屋駅前の高層ビル群も見える。つい最近まで、セントラルタワーズのツインビルだけだったのだが、今はトヨタのミッドランドスクエアやルーセントタワーも加わり、スパイラルタワーも建ちつつある。元気な名古屋の象徴が足助の山からも見える。

 右手にはうっすらと白い御岳が見えており、さらにその右には恵那山が影のように黒く空に張り付いている。恵那山の左肩には遠く白い山が霞んでいて、手書きの展望図によれば中央アルプスの木曽駒のようだ。背後に目を転ずれば奥三河の寧比曽岳も見えていて、木立はあるものの、ほぼ360度の展望が開けている。
 低山ながら、ガイドブックに掲載されていることに納得できる展望だ。
 

 下の標識にもあったように、この山にはかつて城が築かれていて、なるほど物見の砦としては絶好の眺めだ。山頂の解説板によれば平安時代に足助氏の祖が築いた城で、戦国時代まで使われていたそうだ。山頂が広く平らになっていて、城跡の雰囲気を感じさせる。
 そういえば先月登った福岡の立花山も城跡だったなあ。あそこも眺めが良かった。 

黍生山頂
 

 下山は東の尾根へ続く別の道をたどる。真新しい丸太階段やロープ柵などが所々整備されているが、きっと先ほど土管の標識にあった「山の会」の人たちが手を入れているのだろう。

 再び作業道を横切り、落葉樹の明るい尾根を下っていく。落ち葉が厚く積もっていて膝に優しい道だ。登りの植林の道よりずっと明るくて気持ちがいい。
 気持ちが良くて小走りに駆け下っていたら、右足が何かに引っかかった。あっと言う間もなく体が前方に投げ出され、顔から落ち葉に突っ込んでしまった。体中にショックが走り、頭の上にザックが載ったまま、落ち葉の上に突っ伏して、しばらく立ち上がれなかった。手に持っていたカメラがあごに当たり、むちうちの様な痛みが首にある。ひねったように倒れたので腰の辺りも痛い。

 ザックから腕を抜き、のろのろと起き上がって落ち葉を払い、腰と首をおそるおそる伸ばす。どうやら大丈夫のようだ。落ち葉のおかげで擦り傷はない。

 何で転んだんだろう。躓いただけなら、倒れる前に足が出るのだが、何か紐のようなものがからんで、棒のように倒れてしまった。転んだあたりを探してみたら、落ち葉の中に輪のようになった細い紐状の根っこが隠れていた。昔、悪童どもが草を縛って作ったワナと同じで、これに引っかかって転んでしまったのだった。しかも落ち葉に隠れていて分かりにくい。
 次の犠牲者が出ないように、根っこは引き抜いておいた。

落ち葉の中のワナ
(写真を撮るために引き出してみた)

 

  道は相変わらず、気持ちのいい落ち葉道だが、さっきのことがあるので慎重に下る。高圧鉄塔の下から、裸木の枝越しに黍生の山頂を望むことが出来るところもある。

 どんどん下り、小さな墓地の横を抜けた所で左手に折れ、細い舗装道路に降り立った。集落の間を下っていくと国道に出ることができた。

前山の後ろに黍生の山頂がある。
(巴川の新足助橋から)
 

 さてついでに香嵐渓の飯盛山のカタクリを見てくる。今朝の新聞にはいかにも花盛りという感じで写真が載っていたが、まだ蕾のものが多かった。ピークは1週間くらい先だろう。
 それでも観光客はたくさん来ていて、遊歩道を歩いていると「なんだ、朝刊は嘘ジャン。」という声が聞こえる。今朝の新聞を見て出かけて来た人が多いようだ。新聞の力はすごいもんだ。
 

香嵐渓、飯盛山のカタクリ
 

 

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[山行日] 2007/3/21(水・祝)
[天気] 晴れ
[アプローチ] 岡崎 (R248)→ 岡崎市仁木町 →(県道)→ 豊田市足助追分   [約25km]
[コースタイム] 10:05 路肩駐車 (0:05) 国道の黍生城跡の標識 (0:15) 登山道土管の標識 (0:20) 湧き水 (0:15) 黍生山頂 (0:35) 路肩駐車 12:15   (計1:30)
[地図] 足助 (1/25000)
[ガイドブック] 新・分県登山ガイド22「愛知県の山」 山と渓谷社

   
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