宮路山(みやじさん)361m、 五井山(ごいさん)484m、           
御堂山(みどうさん)364m、砥神山(とがみやま)252m               [三河]

 

 ガイドブックではふつう「宮路山と五井山」、「御堂山と砥神山」の2コースで紹介されている。でも、国坂峠でつなげば1つになるし、駅から駅へ歩くことができる。低山縦走ではあるが愛知県内では鉄道を使ってのコースが少ないから、これは面白そうだとやってみることにした。

 名電赤坂駅は無人駅で、車掌に切符を渡してホームを出る。ホームからもう宮路山が見えている。

 国道1号線を横断してT字路を右折すると、旧東海道の赤坂宿になる。少し歩くと左側に旅籠の大橋屋がある。この大橋屋は旧屋号を鯉屋といい、広重の東海道五十三次の浮世絵にも描かれている。驚いたことにまだ今でも泊まれるらしい。少々古びてはいるが、立て格子の風情のある建物だ。

 

名電赤坂駅からの宮路山

 

東海道赤坂宿大橋屋

 

 道路標識に導かれて左折すると山に向かう舗装道路になる。宮路山は何度も来たことがあるが、いつもこの道を車で上がってしまい、歩いて登るのは初めてだ。ピョー、ピョーとアオゲラの声が聞こえ、ルリビタキも出迎えてくれる。

 途中で遊歩道に入り、ほとんど水平な巻き道をたどる。ちょっと急になったかなと思ったら、もう「宮路古道切通し」に着いてしまった。現在の東海道が1413年に開かれる前は、宮路越えとしてここを通っていたと看板にある。車で上がってきた時の駐車場がすぐ下にあり、ここで山道が合流する。
 

 山頂へはもうすぐだが、途中にコアブラツツジの群落地がある。ドウダンツツジのような釣鐘状の花で、ひとつひとつは小さな花だが群落になるとなかなか見ごたえがある。

 ゴールデンウィーク頃が見頃で、もちろん今は花はなく、茶色くなった実が下がっているだけだ。
 ここは音羽町の天然記念物にもなっていて、地元の人が手入れや補植をしているらしい。

コアブラツツジ群生地の宮路山北斜面

 

 宮路山の山頂には持統天皇がここに立ったという大きな石碑がある。大正五年の建立とあるが、本当に持統天皇がここに来たのだろうか。

 山頂からは富士山が見えるらいしが、今日は目いっぱい霞んでいる。鈍色に光る三河湾の向こうに渥美半島がぼんやり見えるだけだ。
 何組か休んでいたが、しばらくしたら誰もいなくなってしまった。皆、五井山に向かったのだろうか。

 

宮路山聖跡の石碑

 

 五井山への道はとてもよく整備されている。地図で見ると小さなこぶが沢山ある稜線だが、道はほとんど巻いていて、楽に歩ける。道幅も二人並んで歩けるほど。雑木、常緑樹、植林地と植生は少しずつ変わっていくが、ほとんど展望はない。すれ違う人が多く、人気のあるハイキングコースのようだ。
 途中右側にアンテナがあり、北の方の展望が開ける。そばに軍事施設反対の朽ちかけた看板があるところをみると、防衛庁関係の施設だろうか。
 
御堂山(左端)へ続く稜線、右端あたりが砥神山

 

蒲郡の街を見下ろす。浮かんでいるのは大島

 

 五井山山頂間近かで一度車道に出て、再び左の山道に入るとすぐ山頂だった。急に展望が開け、思わず歓声が上がってしまう。眼下に蒲郡の街が広がり、その先は広い三河湾。逆光に波が光っている。
 山頂はハイカーで賑わっていて、皆、車座になって弁当を食べている。僕もススキの斜面に腰を下ろして展望を楽しみながら昼めしにする。南向きの斜面で風が遮られ、真冬を忘れさせるほど暖かい。

 山頂にはNTTの巨大な中継アンテナが立っていて、車でも登って来られるようだが、展望のない稜線を歩いてきた者の方がここの眺めの感激は大きいだろう。

 

 暖かい陽射しでのんびりしたいところだが、まだもう二山登らなければならない。

 ここから一旦国坂峠に下りるのだが、山頂からは道がなさそうだ。登ってきた道を戻り、舗装された車道を峠に向かって下る。

 地図にお寺の記号で載っている祠の先でガードレールに看板があり、左手の山道に入る。ジグザグに斜面を降りていくと、道の脇に石積みの小さな祠があり、中に石仏があった。観音像のようだ。
 道の先には同じような石仏がいくつも安置してある。最初の観音像の台座にかすかに二十八番と読め、だんだん番号が小さくなっていくので少なくとも28基はあるようだ。どの石仏の前にも水と常緑の木の枝が供えてあって、現役の信仰対象であることが分かる。

最初に出会った観音像
 
 道は沢沿いの道になり、一度車道に出るがすぐにまた標識に導かれて山道に入る。やがて林道に下りて右にたどると先ほどの車道で、車道を下って県道に合流するところが国坂峠だった。
 

 御堂山への山道は県道を横切った向かい側にあり、すぐに急登になる。一度下ってからのこの登り返しはきつい。疲れも溜まってきて足が上がらない。

 稜線まで上がると少し傾斜は緩くなる。岩がちの道で土がやせているためか、周りの木がまばらで宮路山と五井山の稜線よりも明るい。振り返ると赤松の間に五井山のアンテナが見える。ツツジの木が目立つので花の頃はいいかもしれない。しかし、こちらの道は稜線を忠実にたどり、こぶをひとつひとつ越えて行くのでしんどい。

五井山を振り返る。山頂のNTTアンテナが見える。

 

 何度かニセピークに騙され、やっと御堂山の山頂に到着する。展望のない山頂には「丹野城址」の石碑があるだけ。戦国時代にはこんなところにも城があったようだ。あたりには土塁も残っているらしい。
山頂の先で南側の展望が開け、三河湾が見える。行く手の砥神山らしきピークの先にはひょうたん島のような大島が浮かんでいる。
 
 相楽山荘に向かってコンクリートの遊歩道を下りかけると観音堂への標識があったのでそちらに下る。ここにも石仏が沢山ある。そんなに古いものではなさそうだが、観音様、蔵王像などいろいろある。ヤマモモの大木もある。

 観音堂には十一面観音像があるそうだが、三十三年に一度しか開帳されず、普段は隣の収蔵庫に安置されているそうだ。

 観音堂経由は少し下り過ぎのようで、相楽山荘へ向かう車道は上り坂になってしまい、駄目押しで疲れた。

観音堂

 

 相楽山荘は県営のキャンプ場で僕も中学の頃ここにキャンプに来た。三河大塚の駅から歩いてきて、随分山奥まで来てしまったような感じがしたものだ。
 雨に降られてあまり快適ではなかったことぐらいしか覚えていないが、かすかに記憶にある杉林の中の暗いキャンプ場というイメージとは全く違う明るいキャンプサイトだった。
 ただ、残念ながらこのキャンプ場は県の組織合理化のために、まもなく閉鎖されてしまうらしい。

 キャンプ場の先の池のそばに標識があり、右に折れて砥神山に向かう。ゆるゆると道は続き、少し下って登り返すとT字の分岐で、左がすぐに山頂だった。

キャンプ場の池

 

 山頂にはなぜか役行者の像があって、お参りの人のためのベンチまで置いてある。反対側からも道が登ってきていて、こちらが参拝者用なのだろう。ガイドブックには山頂からの展望はないとあったが、切り開きがしてあって眼下にラグーナの観覧車が見える。三谷温泉の大きな弘法さんも双眼鏡なしで見える。

 最後のピークなのでコーヒーを飲み、みかんを食べてゆっくりする。目の前をメジロとエナガとシジュウカラの混群がチーチーと鳴き交わしながら通り過ぎていく。

 

 先ほどのT字に戻り先に進む。注連縄が張ってある大きな岩があり、ここからも海の方がが見える。

 岩場の急な道を下りたところが砥神神社奥宮。広い参道が下っているのでもう後はこれを下るだけと気楽に歩いていったら、くぐり岩というところに三谷と書かれた小さな標識が左の斜面を指している。少し迷ったが方角は合っているのでこちらを下りることにした。

砥神山の磐座(いわくら)

 

塀に使うコンクリートブロックを一列に並べた狭い階段が一直線に斜面を下りている。かなり急だ。どんどん高度を下げて、ポンと車道に出た。

 標識が無く、どちらにいったらいいか分からない。右手に行ってみたが広い車道に出て北の方へ行ってしまう。戻って左手に向かうと標識はないが細い道が下に続いている。みかん畑の間を下っていくと広い造成地に出てしまった。圃場整備か区画整理のような感じだ。

 あとは下るにつれてだんだん街の中に入っていく。新幹線のガードをくぐり、線路に沿っていけばJRの三谷駅に到着。歩きがいがありました。

砥神山を振り返る


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[山行日] 2003/1/13(月・祝) 
[天気] 晴れ
[アプローチ] 名鉄東岡崎駅 8:35→(特急)→ 8:48 国府駅 8:56→(普通)→ 9:00 名電赤坂駅 
普通電車に乗り遅れたので、国府まで行って引き返す。
[コースタイム] 名電赤坂駅 (0:35) 遊歩道入口 (0:20) 宮路古道切通し (0:20) 宮路山山頂 (1:00) 五井山山頂 (0:40) 国坂峠 (0:35) 御堂山山頂 (0:15) 観音堂 (0:25) 砥神山 (0:40) JR三河三谷駅     (計4:50)
[帰り道] JR三河三谷駅 15:11→(快速)→ 15:23 岡崎駅
[地図] 「御油」「小坂井」(1/25000)
[ガイドブック] 「愛知の130山」 風媒社


   
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