天狗倉山(てんぐらさん)522m便石山(びんしやま)599m               [東紀州]

 

 もう随分前のことになる。東紀州の観光パンフレットを眺めていた時、一枚の写真にくぎ付けになった。大きな岩の上に立つ登山者。頭上には真っ青な空、そして足元には海が広がっている。
 「おお、ここはどこだ!まるで空中に浮いているみたいじゃないか。」
 それが、便石山の「象の背」を知った最初だった。便石山は尾鷲の街の背後にそびえる山で、山頂にある大岩はその形から「象の背」と名付けられている。
 「この岩の上に立ってみたい。」
 しかし、尾鷲は車で行くには少々遠い。電車で行くとなると特急で往復するしかないが、600mの山に登るにはコストパフォーマンスが悪い。そんな感じで後送りになっていたが、いろいろ調べてみると、隣の天狗倉山 の山頂にも大岩があり、ここも眺めがいいらしい。また、世界遺産に登録されてから熊野古道の人気が高まってきたが、天狗倉山と便石山の間を通る馬越 (まごせ)峠は熊野古道の伊勢路コースの中でも、もっとも良く石畳が保存されていることも分かった。見どころが3つもあれば、特急代も惜しくない。ここ数ヶ月 、山らしい山に登っておらずフラストレーションが溜まっていたので、思い切って遠出をすることにした。

 久しぶりの鉄道での山行き。しかも在来線特急の指定席。なんとなく心が浮き立つ。土曜日だと言うのに列車は意外なほどすいていて、一つの車両に10人くらいしか乗っていない。
 尾鷲駅で下車して、バスに乗り換え、10分少々で馬越峠の北側の登り口、鷲毛に着く。バスを降りたのは僕の他に中年の夫婦と大学生くらいの年頃の女の子の二人連れ。観光地っぽい賑わいを予想していたのだが、少々拍子抜け。人気があるとはいえ、土曜日の熊野古道はこんなものか。しかし、静かにのんびり歩けるのはありがたい。

 今年の冬はここにきて気温が高いが、今日も暖かい。なにせここは尾鷲なんだから、暖かくて当然かもしれないが、風もなく春の陽気だ。パーカーを脱ぎ、フリースも脱いで、山シャツだけで歩く。

馬越峠に登る石畳の道
 

 道は街道にしてはかなり急で、石がびっしり敷き詰めてある。雨が多い所だからこそ、石畳でないと勾配がきついところほど流水で掘れてしまうのだろう。こんな石畳の道がずっと続いている。
 ここの石畳は以前歩いたツヅラト峠よりもかなり長いし、石の敷き方もしっかりしている。道幅は狭いところで1m程、広い所では3mくらいもある。
 路傍の夜泣き地蔵や一里塚などを見ながらどこまでも続く石畳を楽しむ。 

夜泣き地蔵
 

 周りは一面の檜の植林地。雨が多くて湿り気があるという先入観からか、有名なのは「尾鷲スギ」だと思っていたが、どうも「尾鷲ヒノキ」というブランドもあるようだ。確かに杉よりも檜の方が商品価値は高いのだから、どちらも育つのならば檜を植えるのだろうな。

 林道を横切り、街道が山腹を横切るようになると馬越峠に到着。しかし檜の木立に囲まれて展望は良くない。

一里塚
 

 
 まずは天狗倉山を目指し、尾根道を左に入る。少し行くとかなり急な登りになる。コンクリート板柵のような階段が続く。
 大岩の根元を右から回り込んで、なおも登ると。山頂に到着。山頂は岩だらけで狭く、岩に囲まれた奥に、レンガ造りの祠が鎮座している。右手の梯子が掛かっているのが、眺めがいいという大岩のようだが、まずは前方が開けている左側の岩に上がってみる。
 岩の先はすとんと切れ落ちていて、その先は海。これはすごい。尾鷲湾の向こうに太平洋が広がっている。
 右手には尾鷲の街。海と山の間を埋め尽くすように建物がひしめき合っている。 冬らしからぬ明るい陽ざしに照らされ、家々が鯛のうろこのように光っている。

天狗倉山山頂
右が大岩、奥は役の行者を祀る祠
 

尾鷲湾
 
尾鷲の街
 

隣の便石山
 
大台ケ原
 

  大岩の上にも上がってみる。鉄製の梯子は狭いうえに、ぐらぐら揺れて危なっかしい。岩の上は想像以上に広く、20人位は座れそう。尾鷲の方に少し傾いている。
 木立に遮られて海の方の眺めが利かないのが残念だが、今まで見えなかった、北側の展望が開ける。足元を銚子川が流れ、その上流奥にわずかに雪を乗せているのは大台ヶ原ではなかろうか。そばの桜の枝が岩の上に延びてきていて、花の季節には絶景と桜という、贅沢ができそうだ。

大岩の上
 

  大岩の上でカップラーメンを食べていたら、石畳の道で追い越した女子大生二人連れが登って来た。僕と同じように尾鷲側を覗いたあと、キャーキャー言いながら梯子をあがってきた。 二人とも山ではなかなか出合えないようなきれいな子で、若い子も惹きつける熊野古道の威力に感謝する。
 聞くと片方の子は地元出身とのこと。海辺の人は海の方ばかり向いて暮らしているという感じがするが、この山は地元の人も登るらしい。まあ、尾鷲の街からでも目立つからねえ。いろいろ聞いてみたいが、見ず知らずのおっさんに話しかけられても迷惑だろうから と、大岩を下りて、そそくさと次の便石山に向かう。
 

 馬越峠に戻り、まっすぐ尾根を進む。ここから便石山へは稜線伝いの道で、看板には便石山遊歩道とある。
 なぜだか分からないが、馬越峠は稜線の一番低いところを通っていない。そのため、峠からさらに最低鞍部に向かって急な坂を下っていくことになるのだが、遊歩道と言うだけあって、プラ擬木の階段が整備されている。階段の横には擬木にチェーンを渡した手すりまで 付いている。 しかし、いくら何でも手すりは要らんだろう。第一、手すりは階段から離れているし、垂れたチェーンは手を伸ばしても届かない。

檜の下は一面のシダ
 

  右手は相変わらず檜の植林地。林床はこれもおなじみ、羊歯(おそらくウラジロ)で一面におおわれている。
 鞍部から便石山の登りにかかると、稜線の左手の尾鷲側は広い伐採跡地になる。まだ人の背丈にも届かないくらいの檜の苗木が植えられている。右も左も植林地。展望は抜群なのだが、植物の楽しみはない。

植林地の鹿除けネット
 

 尾鷲の方を向いた反射板を過ぎると、道は稜線から離れ、右手に山腹を回り込んでいく。大きな岩の間を縫って登っていくと、もうひとつ反射板が現れ、その先で海山方面から登ってくる道に合流する。 戻るような感じで左に進むと、すぐに便石山の山頂だった。
 山頂は意外に平坦でここも檜に囲まれていて展望がない。いやいや、この山は山頂ではなく象の背だ。標識をたよりに斜面を少し降りると、今回のお目当ての象の背が現れる。

象の背
 

 ザックをおっぽりだして、岩に上がる。上がったとたんに目の前がバンと開け、思わず声が出てしまった。
 
「ぉおおぉぉぉ・・・・・・ は は は
  あまりの痛快さにおわりは笑い声になってしまう。これは凄い。こんな感じは初めてだ。まさに宙に浮いている。

象の背の先端

 と、気がついた瞬間に怖くなってしゃがみこんだ。象の背というだけあって、足元に平らなところはない。緩やかな放物線を描く「象の脇腹」の先は 、両側ともどこまで落ちているのか下が見えない。岩に上がってすぐのところは、まだ斜面の木の梢が見えていて、地面の位置が想像できるので大丈夫なのだが、先端から3mくらい まで行くと、斜面から突き出た感じで周りに何もなくなり、急に恐怖がこみ上げてくる。
 四つん這いになって先端まで行き、先を覗くとその先は何もない。虚空の先に天狗倉山が優雅に裾を広げている。鳥の視点、いや天狗の気分と言った方がいいか。もう一度言わせてもらおう 。「これは凄い。」
 こんな浮遊感を今まで山で味わったことがあっただろうかと考え、飛騨の簗谷山(やなだにやま)の「岳美岩」を思い出したが、これほどの高度感はない。いやー、ここに立つだけで、尾鷲まで来た価値はある。
 
岩の上に立っている写真を撮ってもらいたくて、誰か登ってこないかとしばらく待っていたのだが、結局誰も登ってこなかった。残念だが下るとするか。

 下山は馬越峠には戻らず、直接尾鷲の街に下る。ガイドブックにあるように、下り始めが分かりにくいが、踏み跡を探して下っていくと、だんだん稜線が狭くなり、分かりやすくなる。
 ただ、この道は通常の登山道ではないようで、標識は古いものがところどころ残っているばかり。テープや林班界を示すプラスチック杭もあるが、中部電力の巡視路を示す黄色い標識が一番頼りになった。

中電の巡視路を示す標識
 

 岩がちな踏み跡をひとしきり下ると、左手が一面植林地になった。登ってくるときに見た植林地の向かいの尾根を下っていることになる。
 こちらから見ると、植林地の斜面は等高線に沿って木が筋状に刈り残してあるのが分かる。こんな植林地は見たことがないが、土砂の流出を防ぐためだろうか。なにせ、雨の量が半端じゃないところだからなあ。こんな工夫もあるのかもしれない。

便石山斜面の植林
 

 植林地の端を通り過ぎた後は、上を高圧線が走る雑木の尾根を下る。かなり急なところもあり、ずり落ちるように下る。登りには使いたくない道だ。
 とことん尾根を下り、県の総合庁舎のすぐ裏まで来たところで左に折れて国道に出た。コンクリート擁壁の切れ目から国道に出てきた感じで、便石山の小さな標識が立っていた。

 帰りの特急もすいていて、尾鷲の駅前のスーパーで買って来た鳥唐をつまみにして缶ビールを飲む。「森林鶏」の唐揚げとあり、なかなかうまい。ビールの後には 、これもスーパーで買った尾鷲名物のサンマ寿司を頬張る。鉄道での山行はこれができるからうれしい。サンマ寿司といっしょに山行の感動を反芻する。
 また、列車に乗って行ける山を探そう。


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[山行日] 2009/2/7(土) 
[天気] 晴れ
[アプローチ] JR岡崎 7:24 →(新快速)→ 7:53 名古屋 8:11 →(特急南紀1号)→ 10:32 尾鷲→(徒歩)→尾鷲駅口10:44→( 三重交通バス)→10:57鷲毛
[コースタイム] 11:00 鷲毛 (0:50) 馬越峠 (0:25) 12:15天狗倉山12:45 (0:20) 馬越峠  (0:50) NTT反射板 (0:25) 14:30便石山15:00 (1:05) 16:20三重県尾鷲庁舎裏そばの国道 (0:10) 尾鷲神社 (0:25) 尾鷲駅 17:15     (計4:30)
「帰り道」 尾鷲 18:15 →(特急南紀8号)→ 20:40 名古屋 20:43 →(新快速)→ 21:00 岡崎
[ガイドブック] 新・分県登山ガイド23「三重県の山」(山と渓谷社)
[地図] 尾鷲、引本浦(1/25000)

 

[見どころ] 尾鷲神社
・尾鷲駅から歩いて15分。
・境内に三重県の天然記念物に指定されている2本の大楠がある。目通りの幹回りが10mと9m。樹齢千年以上と推定されている。


[切符] ・今回は「南紀・熊野古道フリーきっぷ」(伊勢路コース)を使用。
・尾鷲までの往復に指定席が使える。
・尾鷲駅−鷲毛間の三重交通バスもタダで乗れる。
・名古屋駅発で8,000円。

   
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