○深田百名山を描いた風景印を集めました。 ○風景印がない山は近くの二百名山から代わりの山を選んでいます。 |
北海道 百名山の風景印は9山すべてある。 百名山も 全て登頂。 |
1 | 利尻岳 | 局名 | 鴛泊(おしどまり)局 ●利尻山を描いた他局印 | ||||
場所 | 北海道利尻郡利尻富士町 | ||||||
図案 | 姫沼からの利尻岳 | ||||||
備考 |
1976(S51).8.5登頂。鴛泊からピストン。山頂はガスで、サハリンは見えなかった。
<2020(R2.8.25)再登したが、またしてもガスだった。> 風景印の日付を見ると、登頂日になっている。記憶はないが、その日に鴛泊局で押印してもらったらしい。 |
2 | 羅臼岳 | 局名 | 羅臼(らうす)局 | ||||
場所 | 北海道目梨郡羅臼町 | ||||||
図案 | 羅臼岳、羅臼橋、ローソク岩、特産の昆布 | ||||||
備考 |
1976(S51).7.30登頂。羅臼から登り、硫黄岳をピストンし、ウトロへ下山。天気がよく国後もよく見えたが、ヒグマが怖かった。 風景印は入山前日の日付になっている。 2005(H12).9.14図案変更され、現行印は知床連山が描かれているだけで、羅臼岳は同定できない。 |
3 | 斜里岳 | 局名 | 斜里(しゃり)局 ●斜里岳を描いた他局印 | ||||
場所 | 北海道斜里郡斜里町 | ||||||
図案 | 斜里岳と斜里海岸草原のヤマユリ | ||||||
備考 |
1991(H3).9.21登頂。清岳荘から沢沿いのコースを登る。滝が多くスリル満点。山頂からは弓なりに伸びるオホーツクの海岸線が印象的。熊見峠経由の新道で下山。 1979(S54)11.12から道名削除。 |
4 | 阿寒岳 | 局名 | 阿寒湖(あかんこ)局 ●阿寒岳を描いた他局印 | ||||
場所 | 北海道釧路市阿寒町 | ||||||
図案 | 雄阿寒岳と阿寒湖、マリモ | ||||||
備考 |
1991(H3).9.23雌阿寒岳登頂。雌阿寒温泉からピストン。山頂からは噴煙を上げる雌阿寒の火口が見下ろせる。 風景印は55円の通常切手(図案はマリモ)の初日カバーに押印されたもの。 1996(H8).4.22から道名付加。 |
5 | 大雪山 | 局名 | 東川(ひがしかわ)局 ●大雪山を描いた他局印 | ||||
場所 | 北海道上川郡東川町 | ||||||
図案 | 大雪山連峰、エゾマツ、高山植物 | ||||||
備考 |
1976(S51).7.19旭岳登頂。愛山渓温泉から入山し、北鎮岳を経て旭岳へ。全7泊8日でトムラウシ山、オプタテシケ山、十勝岳、富良野岳と縦走し、十勝岳温泉に下山。花と残雪の山旅だった。 図案は大雪山連峰となっているが、おそらく旭岳を西側から描いたもの。 |
6 | トムラウシ山 | 局名 | 屈足(くったり)局 | ||||
場所 | 北海道上川郡新得町 | ||||||
図案 | トムラウシ山、ナキウサギ、高山植物 | ||||||
備考 |
1976(S51).7.21登頂。大雪山から十勝岳への縦走の途中で、登頂。岩だらけの道を喘ぎながら登った山頂は、ただただ広い青空だった。南沼幕営地で泊まる。 図案にトムラウシ山が描かれているのは、おそらくこの局だけ。 |
7 | 十勝岳 | 局名 | 美馬牛(びばうし)局 ●十勝岳を描いた他局印 | ||||
場所 | 北海道上川郡美瑛町 | ||||||
図案 | 十勝岳連峰、ポピー畑 | ||||||
備考 |
1976(S51).7.24登頂。大雪山から縦走し、登頂後、富良野岳を経て十勝岳温泉に下山。十勝岳へは1979(S54).3月に山スキーで登頂を試みるが、スキーの技術不足で途中敗退。 図中の三角屋根の建物は町立美馬牛小学校の塔。 |
8 | 幌尻岳 | 局名 | 振内(ふれない)局 | ||||
場所 | 北海道沙流郡平取町 | ||||||
図案 | 幌尻岳。(印の外形はトマト) | ||||||
備考 |
2017(H29).8.31登頂。糠平川コースからピストン。増水のため29日は入山できず、翌30日に糠平川を遡行し、幌尻山荘泊。31日は登頂後、その日のうちに下山。 風景印は入山の前々日に押印。 |
9 | 後方羊蹄山 | 局名 | 洞爺温泉(とうやおんせん)局 ●後方羊蹄山を描いた他局印 | ||||
場所 | 北海道虻田郡洞爺町 | ||||||
図案 | 洞爺湖畔から望む蝦夷富士(羊蹄山) | ||||||
備考 |
羊蹄山は2018(H30).7.25登頂。比羅夫コースピストン。甘く見ていたが、標高差1650mの上り下りはきつい。 風景印は記念切手「支笏洞爺国立公園」の初日カバーに押印されたもの。 1996(H8).4.22〜道名付加。 |
10 | 岩木山 | 局名 | 岩木(いわき)局 ●岩木山を描いた他局印 | ||||
場所 | 青森県弘前市賀田 | ||||||
図案 | 岩木山、岩木山神社鳥居とのぼり、リンゴ | ||||||
備考 |
1995(H7).7.21登頂。出張のついでに登ったので、バスとリフトを使い最短コースで登る。頂上では雲が流れて、展望利かず。 下山後に弘前駅前の居酒屋で聞いた津軽三味線が印象に残っている。 風景印は郵頼で入手。 |
11 | 八甲田山 | 局名 | 十和田(とわだ)局 ●八甲田山を描いた他局印 | ||||
場所 | 青森県十和田市西二番町 | ||||||
図案 | 奥入瀬川の子の口滝、八甲田連峰 | ||||||
備考 |
1989(H1).6.22、八甲田ロープウェイで上がり、大岳に登頂後、毛無岱を経て酸ヶ湯温泉に下山。酸ヶ湯温泉泊。翌日は猿倉温泉から南八甲田の櫛ヶ峯を目指すが、山頂直下で時間切れ。残念。 風景印は記念切手「十和田八幡平国立公園」の初日カバーに押印されたもの。 |
12 | 八幡平 | 局名 | 八幡平(はちまんたい)局 | ||||
場所 | 秋田県鹿角市八幡平 | ||||||
図案 | 八幡平、ニホンカモシカ | ||||||
備考 |
1976(S51).6.19登頂。山頂を踏んだ後、嶮岨森、大深山、三ッ石山を経て岩手山まで縦走。なだらかな山々を幾つも越えていく裏岩手の縦走路は、時々湿原が現れる北国らしい道。途中で泊まった三ッ石山の避難小屋も静かで気持ちがいい小屋だった。 風景印は郵頼で入手。 |
13 | 岩手山 | 局名 | 盛岡加賀野(もりおかかがの)局 ●岩手山を描いた他局印 | ||||
場所 | 岩手県盛岡市上ノ橋町 | ||||||
図案 | 岩手山、上の橋の擬宝珠、市の花・カキツバタ | ||||||
備考 |
八幡平から裏岩手を縦走し、1976(S51).6.20登頂。山頂は快晴。小岩井方面へ下山。 図案説明には市の鳥・セキレイとあるが、どこに描かれているのかよく分からない。 |
14 | 早池峰山 | 局名 | 大迫(おおはさま)局 | ||||
場所 | 岩手県花巻市大迫町 | ||||||
図案 | 早池峰山、ハヤチネウスユキソウ、早池峰神楽 | ||||||
備考 |
早池峰山は2014(H26).7.30登頂。河原の坊から登り、小田越に下山。最盛期は過ぎたものの、たくさん高山植物が見られた。 風景印は登山の前日押印。 |
15 | 鳥海山 | 局名 | 酒田(さかた)局 ●鳥海山を描いた他局印 | ||||
場所 | 山形県酒田市新井田町 | ||||||
図案 | 鳥海山、日和山公園の旧灯台 | ||||||
備考 |
1983(S58).7.24登頂。鉾立から登り、山頂の大物忌神社泊。梅雨明け直前の大雨でずぶ濡れ。湯ノ台へ下ったが心字雪渓でガスに巻かれて往生した。 風景印は記念切手「鳥海国定公園」の初日カバーに押印されたもの。現行印は図案変更されている。 |
16 | 月山 | 局名 | 西川月山(にしかわがっさん)局 ●月山を描いた他局印 | ||||
場所 | 山形県西村山郡西川町 | ||||||
図案 | 月山 、月山花笠ライン、夏スキー、ミズバショウ | ||||||
備考 | 2004(H16).8.8月山登頂。
月山登山リフトからピストン。白装束の人が多く、信仰が生きている山であることを実感させられた。 風景印は郵頼で入手。(丸型印のはずだが、なぜか歪んでいる。) |
17 | 朝日岳 | 局名 | 大泉(おおいずみ)局 ●朝日連峰を描いた他局印 | ||||
場所 | 山形県鶴岡市上田沢 | ||||||
図案 | 朝日連峰 、大鳥池、旧朝日村村花のカタクリ、 | ||||||
備考 |
2016(H28).8.2大朝日岳登頂。大鳥池畔から以東岳に登り、朝日連峰の主稜線を縦走。朝日鉱泉に下山。 図の中央下に描かれているのは幻の大イワナ「タキタロウ」と思われる。 描かれている山並が大鳥池から見たものであれば、日付の2の下のピークが「以東岳」と思われる。 |
18 | 蔵王山 | 局名 | 遠刈田(とおがった)局 ●蔵王山を描いた他局印 | ||||
場所 | 宮城県刈田郡蔵王町 | ||||||
図案 | 蔵王山頂火口湖のお釜 | ||||||
備考 | 月山登山の翌日2004(
H16).8.9登頂。蔵王ロープウェイから最高峰熊野岳に登り、イロハ沼を経て、樹氷高原駅に下山。 風景印は記念切手「蔵王国定公園」の初日カバーに押印されたもの。 この図案は1951.(S26).2.15から使用されている。 |
19 | 飯豊山 | 局名 | 一ノ木(いちのき)局 ●飯豊山を描いた他局印 | ||||
場所 | 福島県喜多方市山都町 | ||||||
図案 | 飯豊連峰、登山者、イイデスギ | ||||||
備考 | 1980(S55).7.28登頂。
石コロビ沢雪渓を登り、稜線づたいに飯豊本山へ。ガスに巻かれて展望利は利かなかったが、高山植物は多かった。山都へ下山。 風景印は郵頼で入手。 |
20 | 吾妻山 | 局名 | 吾妻(あずま)局 ●吾妻山を描いた他局印 | ||||
場所 | 福島県喜麻耶郡猪苗代町 | ||||||
図案 | 吾妻小富士、八重白石楠花 | ||||||
備考 |
吾妻小富士から1泊2日で吾妻連峰縦走。1975(S50).6.14一切経山、6.15西大巓登頂。小野川湖へ下山。 この図案は1952.(S27).10.18から使用されている。 |
21 | 安達太良山 | 局名 | 安達(あだち)局 ●安達太良山を描いた他局印 | ||||
場所 | 福島県二本松市油井 | ||||||
図案 | 安達太良山、智恵子抄文学碑 | ||||||
備考 |
安達太良山は2017(H29).10.17登頂。ゴンドラで上がり、登頂後くろがね小屋を経て下山。くろがね小屋の温泉に入りたかった。 智恵子は旧安達町の生まれ。智恵子抄文学碑の立つ鞍石山一帯は現在、「智恵子の杜公園」になっている。 |
22 | 磐梯山 | 局名 | 裏磐梯(うらばんだい)局 | ||||
場所 | 福島県耶麻郡北塩原村 | ||||||
図案 | 磐梯山、桧原湖畔のキャンプ場 | ||||||
備考 | 1977(S52).11.6登頂。磐梯山コールドライン八方台登山口から山頂ピストン。 風景印は記念切手「磐梯朝日国立公園」の初日カバーに押印されたもの。 |
23 | 会津駒ヶ岳 | 局名 | 会津大川(あいづおおかわ)局 | |
場所 | 福島県会津郡南会津町 | |||
図案 | 会津駒ヶ岳、大桃の舞台、ミズバショウ | |||
備考 |
1977(S52).7.25登頂。南会津の坪入山から
入山し、窓明山、三岩岳を経て、稜線づたいに会津駒ヶ岳に至る。稜線上には小湿原がいくつも現れるが、ヤブ漕ぎに苦しみ、途中ビバークを余儀なくされた。
登頂後は尾瀬に向かった。 会津駒ヶ岳から見た燧ヶ岳を描いた尾瀬局の風景印を掲載していたが、会津駒ヶ岳そのものを描いた風景印を見つけたので入れ替えた。 |
24 | 那須岳 | 局名 | 那須(なす)局 | ||||
場所 | 栃木県那須郡那須町 | ||||||
図案 | 那須高原からの那須岳、白樺と町花・リンドウ | ||||||
備考 |
2010(H22).7.31登頂。ロープウェイで茶臼岳に登り、峰の茶屋から朝日岳をピストンし、山麓駅に下山。三本槍岳まで行けなかったのが残念。 図中の山は噴煙を上げているので、那須連山のうちの茶臼岳と思われる。 1987(S62).3.23「那須温泉局」に局名改称? |
25 | 燧ヶ岳 | 局名 | 檜枝岐(ひのえまた)局 ●燧ヶ岳を描いた他局印 | ||||
場所 | 福島県南会津郡檜枝岐村 | ||||||
図案 | 駒池の平から見た燧ヶ岳、ミズバショウ | ||||||
備考 |
1977(S52).7.29会津駒ヶ岳の北方の坪入山から尾瀬を経て、日光白根山までの山旅の途中で登頂。 1982(S57).10.23晩秋の尾瀬を歩き、二度目の登頂。 尾瀬局と同図案。 |
26 | 至仏岳 | 局名 | 片品(かたしな)局 | ||||
場所 | 群馬県利根郡片品村 | ||||||
図案 | 尾瀬沼(上)と菅沼(下)、ミズバショウ | ||||||
備考 |
1977(S52).7.27燧ヶ岳の前日に山の鼻からピストン。 二度目は1982(S57).10.24燧ヶ岳の翌日に山の鼻から登り、鳩待峠へ下山。 図案上が至仏岳。 この図案は1951.(S26).10.1から使用されている。 |
27 | 武尊山 | 局名 | 川場(かわば)局 | ||||
場所 | 群馬県利根郡川場村 | ||||||
図案 | 武尊山、村花・シャクナゲ、迦葉山の天狗の葉団扇 | ||||||
備考 |
武尊山は2016(H28).5.19登頂。川場谷野営場からピストン。 迦葉山(かしょうざん)は武尊山の南西、沼田市にある標高1322mの山で、その中腹にある弥勒寺は天狗の寺として有名。 |
28 | 男体山 | 局名 | 日光(にっこう)局 ●男体山を描いた他局印 | ||||
場所 | 栃木県日光市中鉢石町 | ||||||
図案 | 男体山の遠望、神橋、杉並木 | ||||||
備考 |
2015(H27).5.21男体山登頂。中禅寺湖畔の中宮祠からピストン。 風景印は40円の通常切手(図案は東照宮陽明門)の初日カバーに押されたもの。 現在の日光局の風景印は図案変更されており、この図案は日光駅前局で使われている。 |
29 |
奥白根山 ↓ 榛名山 (200名山) |
局名 | 室田(むろた)局 | |
場所 | 群馬県高崎市下室田 | |||
図案 | 榛名山、榛名湖、里見梨、ユウスゲ | |||
備考 |
奥白根山(日光白根山)は1977(S52).8.1登頂。南会津の坪入山から会津駒、尾瀬、鬼怒沼湿原と縦走した最後の山。 榛名山は2005(H17).7.30掃部ヶ岳に登頂。 奥白根山の風景印は無い。近くに風景印に描かれた名山がないので、榛名山を選定。 図中の榛名山は榛名富士を描いている。 |
30 | 皇海山 | 局名 | 足尾赤倉(あしおあかくら)局 | ||||
場所 | 栃木県日光市足尾町 | ||||||
図案 | 皇海山、足尾山地、足尾ダム、岩頭のニホンカモシカ | ||||||
備考 |
皇海山は2016(H28).5.19登頂。皇海橋の登山口からピストン。皇海橋までの林道がひどかった。 風景印は郵頼で入手。 |
31 | 赤城山 | 局名 | 大胡(おおご)局 ●赤城山を描いた他局印 | ||||
場所 | 群馬県前橋市堀越町 | ||||||
図案 | 赤城山、不動大滝、赤城温泉 | ||||||
備考 |
2005(H17)年夏に登りに行き、山麓の滝沢温泉に泊まったのだが、その夜すごい雷雨で県道が土砂崩れになり、登れず。 2015(H27).5.22、大沼湖畔から黒檜山に登り、駒ヶ岳へ縦走。 風景印は郵頼で入手。 |
32 | 筑波山 | 局名 | 佐倉(さくら)局 ●筑波山を描いた他局印 | ||||
場所 | 千葉県佐倉市海隣寺町 | ||||||
図案 | 筑波山遠景、印旛沼、ホオジロとアヤメ | ||||||
備考 | 1977(S52).5.3登頂。
つつじが丘から女体山に登り、男体山を経て酒寄に下山。新緑の山はハイカーで賑わっていた。 1988(S63).5.28図案改正。現行の風景印はこんなのどかな図案ではない。 |
33 | 両神山 | 局名 | 両神(りょうかみ)局 ●両神山を描いた他局印 | ||||
場所 | 埼玉県秩父郡小鹿野町 | ||||||
図案 | 両神山、両神ツツジ | ||||||
備考 |
両神山は2013(H25).11.12登頂。日向大谷(ひなたおおや)からピストン。紅葉は終わっていたが、展望は効いた。 山の様子がかなり写実的に描かれているが、ビューポイントは分らなかった。 |
34 |
雲取山 ↓ 大岳山 (200名山) |
局名 | 青梅(おうめ)局 | ||||
場所 | 東京都青梅市東青梅 | ||||||
図案 | 大岳山、御岳山、万年橋、梅の木、特産の織物 | ||||||
備考 |
雲取山は三ツ峰から入山し1976(S51).10.31登頂。その後甲武信岳、金峰山、瑞牆山と奥秩父全山縦走。 大岳山は1976(S51).1.15登頂。御岳山ケーブルカーで登り、山頂からは馬頭刈尾根を南下し、荷田子バス停へ下山。 雲取山の風景印は無い。代わりに奥多摩の大岳山を選定。 |
35 | 甲武信岳 | 局名 | 大滝(おおたき)局 | ||||
場所 | 埼玉県秩父市大滝 | ||||||
図案 | 甲武信岳、シャクナゲ | ||||||
備考 |
雲取山から瑞牆山まで奥秩父全山縦走の途中で1976(S51).11.2登頂。1977(S52).6.5笛吹川東沢を遡行して登頂。 図案説明には甲武信岳とあるが、甲武信岳山頂からの眺めではないかと思われる。中景右手の山は黒金山ではなかろうか。 |
36 | 金峰山 | 局名 | 三富(みとみ)局 | |
場所 | 山梨県山梨市三富下荻原 | |||
図案 | 金峰山、シャクナゲ | |||
備考 |
金峰山は雲取山から瑞牆山まで奥秩父全山縦走の途中で1976(S51).11.3登頂。 現在使われている風景印で、金峰山の図案のものは無い。しかし、三富局の旧図案に描かれているのを見つけた。これは、使用された最終日の日付が押されたもの。 |
37 | 瑞牆山 | 局名 | 須玉(すだま)局 | ||||
場所 | 山梨県北杜市須玉町 | ||||||
図案 | 瑞牆山、中央高速道路・須玉インターチェンジ | ||||||
備考 |
雲取山から瑞牆山まで奥秩父全山縦走の途中で1976(S51).11.3登頂。山頂の岩峰の上は、高度感満点で空を飛んでいるようだった。 高速道路やインターチェンジを描いた風景印は間々あるが、料金所を描いたものは珍しいのでは? |
38 | 大菩薩嶺 | 局名 | 神金(かみかね)局 | ||||
場所 | 山梨県甲州市塩山上萩原 | ||||||
図案 | 大菩薩嶺、重文・霊峰寺本堂、風林火山の旗、特産のスモモ | ||||||
備考 |
1976(S51).12.4登頂。登頂後、小金沢連嶺を滝子山まで縦走して初狩駅に下山。 図中の山上を飛ぶ鳥は何であろか。 |
39 | 丹沢山 | 局名 | 秦野(はだの)局 | ||||
場所 | 神奈川県秦野市室町 | ||||||
図案 | 丹沢連峰、登山者、波多野城址碑、特産・煙草葉、たばこ音頭 | ||||||
備考 |
1975(S50).12.13大倉尾根を登り、塔ヶ岳、丹沢山に登頂。翌日、蛭ヶ岳を経て東主脈を縦走し、焼山登山口に下山。 風景印は郵頼で入手。描かれている山並みは二ノ塔、三ノ塔付近の表丹沢と思われる。 |
40 | 富士山 | 局名 | 富士山頂(ふじさんちょう)局 ●富士山を描いた他局印 | ||||
場所 | (静岡県富士宮市) | ||||||
図案 | 富士山頂、登山者 | ||||||
備考 |
1965(S40)、10歳の時に家族で富士登山。富士宮口から登り、須走口に下りる。夜間登山だったので眠かった。 風景印は記念切手「自然公園の日制定記念」の初日カバーに押印されたもの。 富士山を描いた風景印は静岡、山梨県を中心に非常に数が多い。 |
41 | 天城山 | 局名 | 中伊豆(なかいづ)局 | ||||
場所 | 静岡県伊豆市城 | ||||||
図案 | 天城連山、万城の滝、特産・ ワサビ | ||||||
備考 |
1990(H2).11.23万三郎岳登頂。天城高原ゴルフ場から万二郎岳を経て、天城連山の最高峰万三郎岳に登り、縦走して八丁池を見て、天城トンネルに下山。万二郎岳登りのヒメシャラ林が印象的。 天城連山のどのあたりの山を描いているのかは、よく分からない。こんなに尖ったピークがあるのだろうか。 |
42 | 谷川岳 | 局名 | 湯檜曽(ゆびそ)局 | ||||
場所 | 群馬県利根郡みなかみ町 | ||||||
図案 | 谷川岳一の倉沢の岩壁、湯檜曽温泉、北原白秋文学碑 | ||||||
備考 | 平標山から
仙ノ倉山を越え、国境稜線を縦走して1976(S51).9.26トマノ耳登頂。オキノ耳にも登り、一の倉沢を見下ろし、蓬峠から、土樽駅に下山した。途中で泊まった避難小屋のそばで、初めてオコジョに出会う。 白秋歌碑の全文は「こごしかる湯檜曽の村や片谿と日ざしたのめて冬はありつつ」 |
43 | 草津白根山 | 局名 | 草津(くさつ)局 | ||||
場所 | 群馬県吾妻郡草津町 | ||||||
図案 | 白根山、温泉湯もみ風景 | ||||||
備考 |
2002(H14).9.21本白根山登頂。本白根スキー場駐車場から鏡池を経て立ち入り禁止の標識まで。 意外なことに現行の風景印に草津白根山を描いた ものは無く、笠ヶ岳を描いた志賀高原局の風景印を掲載していたが、草津局の旧図案に草津白根山が描かれているのを見つけ、入れ替えた。 |
44 | 四阿山 | 局名 | 菅平(すがだいら)局 | ||||
場所 | 長野県上田市菅平高原 | ||||||
図案 | 根子岳(左)・四阿山(右)、スキーヤー、白樺、スズラン、(印の外形はラグビーボール) | ||||||
備考 |
1996(H8).9.15登頂。菅平高原のダボス牧場から中四阿を経て四阿山登頂。根子岳にも登って、牧場に下山。山頂は百名山ツアーの人々で満員。 図中の二つのピークは、右が四阿山、左が根子岳。 |
45 | 浅間山 | 局名 | 軽井沢(かるいざわ)局 ●浅間山を描いた他局印 | ||||
場所 | 長野県北佐久郡軽井沢町 | ||||||
図案 | 浅間山、軽井沢高原、シラカバ | ||||||
備考 |
浅間山は2014(H26).6.20登頂。車坂峠からピストン。帰りは外輪山を歩き、黒斑山にも登頂。 噴煙を上げる目立つ山だけあって、浅間山を描いた風景印は多い。 風景印は記念切手「第1次上信越高原国立公園」の初日カバーに押印されたもの。 |
46 | 魚沼駒ヶ岳 | 局名 | 小出(こいで)局 | ||||
場所 | 新潟県魚沼市小出島 | ||||||
図案 | 越後三山、奥只見ダム、釣り人、尾瀬中納言像 | ||||||
備考 |
2009(H21).7.31登頂。枝折峠からピストン。ピストンなので気軽に考えていたが峠から遠かった。泥道にも閉口した。 図案説明は越後三山となっているが、カシミールで魚沼市役所付近からの展望図を作成してみると、左が駒ヶ岳、中央奥が中ノ岳、右が八海山と確認できる。 |
47 |
平ヶ岳 ↓ 守門岳 |
局名 | 守門(すもん)局 | ||||
場所 | 新潟県北魚沼郡守門村 | ||||||
図案 | 守門岳、重文・旧目黒家住宅 | ||||||
備考 |
2009(H21).8.1平ヶ岳登頂。
中ノ岐林道からピストン。山上の広々とした風景。キンコウカに黄色く染まる湿原。ガスで展望はなかったが、想像以上に素晴らしい山だった。 平ヶ岳の風景印は無い。代わりに少々遠いが越後の名山守門岳を選定。 |
48 | 巻機山 | 局名 | 越後上田(えちごうえだ)局 | ||||
場所 | 新潟県南魚沼市長崎 | ||||||
図案 | 巻機山、雲洞庵 | ||||||
備考 |
1975(S50).5.25登頂。清水から井戸尾根ピストン。大学のワンゲルで初めて連れて行かれた山。残雪が多く、驚いた。 巻機山のビューポイントはよく分からない。 雲洞庵(うんとあん)は曹洞宗の古刹。描かれているのは赤門と経文が埋められていると伝えられる石畳。 |
49 | 雨飾山 | 局名 | 中土(なかつち)局 ●雨飾山を描いた他局印 | ||||
場所 | 長野県北安曇郡小谷村 | ||||||
図案 | 雨飾山、民族芸能・奴踊、小谷温泉 | ||||||
備考 |
1991(H3).7.6登頂。小谷温泉からピストン。雲で北アは見えず。小谷温泉の露天風呂は新緑に囲まれて気持ちがよかった。 小谷温泉から少し上がった、登山口付近から見上げた雨飾山と思われる。 カシミール展望図。 |
50 | 苗場山 | 局名 | 三俣(みつまた)局 | ||||
場所 | 新潟県南魚沼郡湯沢町 | ||||||
図案 | 苗場山、日本三大渓谷・清津峡 | ||||||
備考 |
1978(S53).10.12登頂。秋山郷の大割野から小松原湿原に登り、避難小屋泊。湿原の朝は天上の楽園のよう。苗場山山頂でも1泊したが、朝起きたら初雪に覆われていた。苗場山スキー場を下り、三俣に下山。 風景印をよく見ると、苗場山登山口の標識の上に登山者が描かれている。 |
51 | 妙高山 | 局名 | 野尻湖(のじりこ)局 ●妙高山を描いた他局印 | ||||
場所 | 長野県上水内郡信濃町 | ||||||
図案 | 野尻湖の風景、白樺、バンガロー、テント、ヨット | ||||||
備考 |
1981(S56).8.20登頂。笹ヶ峰から登り、高谷池ヒュッテ泊。天気が悪く火打山は行かず。翌日、妙高山に登り、燕温泉下山。 風景印は記念切手「上信越高原国立公園」の初日カバーに押印されたもの。図案説明には山名はないが、山の形から妙高山に間違いなし。 |
52 | 火打山 | 局名 | 頚城槇局(くびきまき)局 | ||||
場所 | 新潟県糸魚川市槇 | ||||||
図案 | 火打山、スキーヤー、渓流釣り、カタクリの花 | ||||||
備考 | 2008(H20).8.2登頂。
笹ヶ峰牧場からピストン。上記の登りそこなった山行から27年ぶりに山頂まで至る。天狗の庭の湿原は変わらず美しかった。 風景印は郵頼で入手。 |
53 | 高妻山 | 局名 | 戸隠( とがくし)局 | ||||
場所 | 長野県長野市 | ||||||
図案 | 戸隠山八方睨より見た高妻山と戸隠神社本殿、神木、鳥居 | ||||||
備考 |
高妻山は2006(H18).7.30登頂。戸隠牧場からピストン、山頂はガスで何も見えず。戸隠山は1981(S56).10.11登頂。戸隠神社から登り、牧場へ下山。紅葉がきれいだった。 高妻山の風景印は無いと思っていたが、戦前のもので発見。ネットオークションで800円で入手。 |
54 | 白馬岳 | 局名 | 白馬(はくば)局 ●白馬岳を描いた他局印 | ||||
場所 | 長野県北安曇郡白馬村 | ||||||
図案 | 白馬岳、お花畑 | ||||||
備考 |
1977(S52).8.11登頂。白馬大雪渓を登り、白馬三山を縦走。1981(S56)7.25登頂。栂池自然園から登り、朝日岳へ縦走、小川温泉へ下山。どちらも高山植物を満喫した。 左手奥が白馬岳、右手が杓子岳。とても山の風景印らしい図案。 |
55 | 五竜岳 | 局名 | 神城(かみしろ)局 | ||||
場所 | 長野県北安曇郡白馬村 | ||||||
図案 | 五竜岳、テレキャビン、ケルン、ドウダンツツジ | ||||||
備考 |
1995(H7).7.31登頂。鹿島槍ヶ岳からキレットを越えて五竜岳登頂。八方尾根へ下山。 一応、山頂直下の武田菱も描かれている。 |
56 | 鹿島槍ヶ岳 | 局名 | 広津(ひろつ)局 | ||||
場所 | 長 野県東筑摩郡生坂村東広津 | ||||||
図案 | 北アルプス、重文・千手観音像、ソバの花 | ||||||
備考 |
鹿島槍ヶ岳は1995(H7).7.31登頂。扇沢から爺ヶ岳を越えて、冷池山荘に泊まり、五竜岳へ縦走。 鹿島槍を描いた風景印は意外になくて、探すのに苦労した。広津局のものもはっきりしないが、連峰の左側にある三角のピークが蓮華岳と思われるので、観音像の光背の左が爺ヶ岳、右が鹿島槍ヶ岳ではなかろうか。 展望図参照。 |
57 | 剱岳 | 局名 | 上市(かみいち)局 ●剱岳を描いた他局印 | ||||
場所 | 富山県中新川郡上市町 | ||||||
図案 | 剱岳、馬場島登山口、伊折橋 | ||||||
備考 |
2010(H22).8.28登頂。前日、室堂から剱御前小舎に入り、翌日ピストン。鎖場が続く道を、下を見ないようにして登った。 立山連峰として剱岳も含めて描かれている風景印は多いが、剱岳そのものを描いたものは、滑川市の中加積局、立山町の新川局など数局のみ。 |
58 | 立山 | 局名 | 立山山頂(たてやまさんちょう)局 ●立山を描いた他局印 | ||||
場所 | 富山県中新川郡立山町 | ||||||
図案 | 立山頂上、ライチョウ | ||||||
備考 |
1966(S41)、11歳の時に家族で登山。室堂から雄山ピストン。みくりが池温泉泊。残雪の多さに驚く。 2015(H27).9.29。大汝山にも登頂。 風景印は記念切手「中部山岳国立公園」の初日カバーに押印されたもの。現行図案は変更されている。 |
59 | 薬師岳 | 局名 | 小見(おみ)局 | ||||
場所 | 富山県富山市小見 | ||||||
図案 | 薬師岳、 スキーヤー、有峰ダム、キバナシャクナゲ | ||||||
備考 |
薬師岳は1985(S60).7.21登頂。室堂から五色ヶ原を経て薬師岳登頂。折立に下山。 薬師岳の風景印は無いと思っていて代わりに毛勝岳の風景印(片貝局)を掲載していがた、小見局の廃止印に薬師岳が描かれているのを知り、YAHOOのオークションで入手した。 |
60 | 黒部五郎岳 | 局名 | 神岡坂富(かみおかさかとみ)局 | ||||
場所 | 岐阜県吉城郡神岡町 | ||||||
図案 | 黒部五郎岳、神岡城、神岡大橋、ヤマメ | ||||||
備考 |
黒部五郎岳は1979(S54).7.27登頂。折立から入山し、北ノ俣岳を越えて登頂。その後三俣蓮華、双六岳を経て、笠ヶ岳まで縦走。有明山は未登頂。 風景印の説明では「北の俣岳」とされているが、神岡の街に隣接する大洞山からの展望図を作ってみると、私 には黒部五郎岳に思えてならない。 |
61 |
黒岳 ↓ 赤牛岳 (200名山) |
局名 | 大町(おおまち)局 | ||||
場所 | 長野県大町市 | ||||||
図案 | 黒四ダム、雷鳥 | ||||||
備考 |
黒岳は1994(H6).7.29登頂。ブナ立尾根を登り、烏帽子岳から裏銀座を縦走して登頂。双六小屋から新穂高に下山する。水晶小屋は満員だった。
赤牛岳は2019(R1).8.1登頂。 黒四ダムの向こうに見える山が黒岳ならいいのだが、カシミールの展望図を作ってみると、残念ながらどうも赤牛岳らしい。黒岳はちょうど雷鳥の後ろに隠れている。 |
62 |
鷲羽岳 ↓ 燕岳 (200名山) |
局名 | 有明(ありあけ)局 | ||||
場所 | 長野県安曇市穂高有明 | ||||||
図案 | 燕岳、燕山荘、登山者、温泉マーク | ||||||
備考 |
鷲羽岳は1982(S57).8.8登頂。折立から入山し、雲の平を経て登頂。山頂で雹に降られる。新穂高へ下山。 燕岳は未登頂。 鷲羽岳の風景印は無いが、有明局の風景印は登山風景としてはいい感じの図案になっている。 |
63 | 槍ヶ岳 | 局名 | 島々(しましま)局 ●槍ヶ岳を描いた他局印 | ||||
場所 | 長野県松本市安曇 | ||||||
図案 | 槍ヶ岳、登山者 | ||||||
備考 |
1985(S60).9.15登頂。
上高地から槍沢沿いに登り、バテバテで殺生ヒュッテ泊。翌日、山頂に登り、新穂高へ下山。雨に降られて、槍平小屋でも1泊。 風景印は郵頼で入手したが、局名や右側の登山者がつぶれてしまっていて、ちょっとひどい。そろそろ印を更新してほしい。 |
64 | 穂高岳 | 局名 | 上高地(かみこうち)局 ●穂高岳を描いた他局印 | ||||
場所 | 長野県松本市安曇 | ||||||
図案 | 大正池からの穂高岳 | ||||||
備考 |
2018(H30).8.22.奥穂高岳登頂。前日、涸沢から北穂に登り、涸沢岳を経て穂高岳山荘泊。当日は快晴。登頂後、前穂を経て岳沢に下る。 風景印は記念切手「中部山岳国立公園」の初日カバーに押印されたもの。 1995(H7).4.27〜県名付加。 |
65 | 常念岳 | 局名 | 浅間(あさま)局 ●常念岳を描いた他局印 | ||||
場所 | 長野県松本市浅間温泉 | ||||||
図案 | 浅間温泉の風景、常念岳 | ||||||
備考 |
1992(H4).9.26登頂。
上高地徳沢から長塀尾根を登り、蝶ヶ岳を経て常念岳へ。山頂は夕闇が迫り、常念小屋に着いた時には既に暗くなっていた。翌日は槍穂連峰の展望を楽しみ、一ノ沢に下山。 もっと常念岳らしい図案の局もあるが、取りあえず手元にあるのはこれだけ。でも、温泉風景としては味がある。 押印日付の翌日S49.6.1に「浅間温泉局」に改称。 |
66 | 笠ヶ岳 | 局名 | 高山岡本(たかやまおかもと)局 | ||||
場所 | 岐阜県高山市岡本 | ||||||
図案 | 北アルプス、飛騨民俗村の重文・吉真家、県文化財・道上家 | ||||||
備考 |
1979(S54).7.31登頂。折立から入山し、黒部五郎、三俣蓮華、双六、抜戸と縦走し、笠ヶ岳に至る。笠新道を下り、新穂高に下山。 図案説明には北アルプスとしてあるだけだが、高山から一番目立つのは笠ヶ岳だから、おそらく真ん中の山がそれでしょう。右奥の山は槍ヶ岳の可能性大。 カシミール展望図参照。 |
67 | 焼岳 | 局名 | 上宝(かみたから)局 | ||||
場所 | 岐阜県高山市上宝町 | ||||||
図案 | 焼岳、飛騨天文台、天然記念物・イワツツジ | ||||||
備考 |
2000(H12).10.1焼岳登頂。安房トンネル上の湯温泉からピストン。 上宝から焼岳がこのように尖って見えるか少々疑問。 図中の塔状のものは、京都大学飛騨天文台のドームレス太陽望遠鏡。 |
68 | 乗鞍岳 | 局名 | 高根(たかね)局 ●乗鞍岳を描いた他局印 | ||||
場所 | 岐阜県高山市高根町 | ||||||
図案 | 乗鞍岳、野麦峠、木曽馬、熊笹 | ||||||
備考 |
1999(H11).5.4乗鞍岳登頂。位ヶ原山荘からテレマークスキーをはいて登る。山頂はガスだったが、下りの滑降は爽快だった。 風景印は郵頼で入手。ここも槍ヶ岳の島々局のと同じで、かなり印が摩耗している。 |
69 | 御嶽山 | 局名 | 三岳(みたけ)局 | ||||
場所 | 長野県木曽郡木曽町三岳 | ||||||
図案 | 木曾御嶽山、里宮の鳥居、登山者の振鈴 | ||||||
備考 |
1988(S63).9.17登頂。濁河温泉から剣ヶ峰ピストン。 2004(H16).7.25にはチャオゴンドラ山頂駅から継子岳ピストン。 風景印はふるさと切手「東大木曽観測所と御嶽山・長野県」の初日カバーに押印されたもの。 |
70 | 美ヶ原 | 局名 | 武石(たけし)局 ●美ヶ原を描いた他局印 | |
場所 | 長野県上田市上武石 | |||
図案 | 美ヶ原高原、美しの塔 | |||
備考 |
1983(S58).10.12登頂。出張のついでに、美ヶ原高原バス停から王ヶ鼻までピストン。 背後の山は北アルプスと思われる。 |
71 | 霧ヶ峰 | 局名 | 諏訪角間(すわかくま)局 ●霧ヶ峰を描いた他局印 | ||||
場所 | 長野県諏訪市元町 | ||||||
図案 | 霧ケ峰高原、島木赤彦生誕地碑 | ||||||
備考 |
1977(S52).10.22登頂。
蓼科高原親湯から八子ヶ峰に登り、白樺湖横を抜けて車山登頂。八島ヶ原湿原でテン泊し、和田峠まで歩く。 2002(H14).6.9にも車山肩から車山ピストン。 北アルプス大展望。 図中に描かれた花はニッコウキスゲだろうか。 |
72 | 蓼科山 | 局名 | 蓼科(たてしな)局 | ||||
場所 | 長野県茅野市北山 | ||||||
図案 | 蓼科高原の夏、蓼科湖の冬 | ||||||
備考 |
1989(H1).9.24登頂。大河原峠から山頂ピストン。山頂にかかった雲が取れず、展望きかず。 蓼科山を描いた風景印は意外に見当たらない。図中の左が蓼科山、右は北横岳と思われる。 カシミール展望図。 |
73 | 八ヶ岳 | 局名 | 安都那( あつな)局 ●八ヶ岳を描いた他局印 | ||||
場所 | 山梨県北杜市高根町 | ||||||
図案 | 八ヶ岳、小海線、レンゲツツジ | ||||||
備考 |
1983(S58).5.4赤岳登頂。
渋の湯から天狗岳に登り、横岳を経て赤岳登頂。雪の残る横岳の鎖場は緊張した。行者小屋へ下山。2泊3日の天候に恵まれた山旅。 2013(H25).9.18、赤岳再登。 八ヶ岳を描いた風景印は多いが、これが一番赤岳らしい。北杜市小泉局のもよい。 |
74 | 木曽駒ヶ岳 | 局名 | 駒ヶ根(こまがね)局 ●木曽駒ヶ岳を描いた他局印 | ||||
場所 | 長野県駒ヶ根市 | ||||||
図案 | 駒ヶ岳、光前寺、民話の犬 | ||||||
備考 |
1979(S54).6.24登頂。
ロープウェイで千畳敷にあがり、頂上山荘横でテン泊。翌日、駒ヶ岳山頂を経て木曽福島へ下山。 2019(H31).3.27木曽駒ヶ岳、再登。 図案説明は駒ヶ岳になっているが、千畳敷から見上げた宝剣岳のように見える。 |
75 | 空木岳 | 局名 | 田島(たじま)局 | ||||
場所 | 長野県上伊那郡中川村片桐 | ||||||
図案 | 中央アルプス、土偶、牧ヶ原橋 | ||||||
備考 |
1980(S55).9.14登頂。
千畳敷から登り、檜尾避難小屋で1泊して翌日空木岳登頂。南駒ヶ岳まで行きたかったがバテてしまって空木岳避難小屋でもう1泊し、池山尾根下山。 「どれが空木岳だ」と突っ込まれそうだが、カシミールの展望図を作ってみると、仙涯嶺、赤椰岳、南駒ヶ岳、空木岳の順で並んでいる。 |
76 | 恵那山 | 局名 | 中津川(なかつがわ)局 ●恵那山を描いた他局印 | ||||
場所 | 岐阜県中津川市 | ||||||
図案 | 恵那山、落合大橋、県重要民俗資料・恵那文楽の頭 | ||||||
備考 |
1979(S54).5.13登頂。黒井沢から山頂ピストン。曇っていてあまり展望は利かなかった。 風景印は妻籠・馬籠へ遊びに行った時に押印。 |
77 | 甲斐駒ケ岳 | 局名 | 台ヶ原(だいがはら)局 | ||||
場所 | 山梨県北杜市白州町 | ||||||
図案 | 駒ヶ岳、雷鳥、ハイマツ | ||||||
備考 |
2001(H13).7.22甲斐駒ヶ岳登頂。
黒戸尾根の長い暑い尾根をあえきがなら登り、七丈小屋泊。翌日快晴の山頂に立ち、駒津峰を越えて北沢峠へ下山。 甲斐駒ヶ岳は北岳の南アルプス局の風景印にも描かれている。 |
78 | 仙丈ヶ岳 | 局名 | 高遠(たかとう)局 ●仙丈ヶ岳を描いた他局印 | ||||
場所 | 長野県伊那市高遠町 | ||||||
図案 | 仙丈岳、高遠城址公園、桜 | ||||||
備考 |
1986(S61).10.12登頂。北沢峠からピストン。山頂は薄っすら雪化粧。ガスがとれず、展望利かず。 風景印は郵頼で入手。この印もかなり摩耗している。 |
79 | 鳳凰山 | 局名 | 駒城(こまき)局 | ||||
場所 | 山梨県北杜市武川町 | ||||||
図案 | 地蔵岳山頂のオベリスク、アカゲラ、ハイマツ | ||||||
備考 |
鳳凰山は1980(S55).5.4登頂。御座石鉱泉から登り、地蔵岳、観音岳、薬師岳と鳳凰三山を縦走し、夜叉神峠へ抜ける。 鳳凰山の風景印は無いと思っていて長野県三義局の入笠山の風景印を入れていたが、地蔵岳の風景印があることが分かり、入れ替えた。 |
80 | 北岳 | 局名 | 南アルプス(みなみあるぷす)局 | ||||
場所 | 山梨県南アルプス市下宮地 | ||||||
図案 | 北岳、甲斐駒ケ岳 | ||||||
備考 |
一度目は広河原から八本歯コルを経て1978(S53).8.12登頂。
白根三山を縦走し、奈良田へ下山。 二度目は塩見岳から縦走し、1990(H2).7.22登頂。肩ノ小屋に泊まって広河原へ下山。 南アルプス市が誕生した時は、不遜な名前だと思っていたが、風景印にするとピッタリの名前になる。 |
81 | 間ノ岳 | 局名 | 韮崎(にらさき)局 | ||||
場所 | 山梨県韮崎市中央町 | ||||||
図案 | 南アルプス連峰、リュックサック、ピッケル | ||||||
備考 |
間ノ岳も北岳登頂と同じ山行で二度登っている。1978(S53).8.13と1990(H2).7.22。 風景印は記念切手「中部山岳国立公園」の初日カバーに押印されたもの。図案説明は南アルプス連峰となっているが、 これは間違いなく夜叉神峠からの眺めで、左が間ノ岳、右が北岳を描いている。リュックサックが非常にオールドファッション。 |
82 | 塩見岳 | 局名 | 鹿塩(かしお)局 | ||||
場所 | 長野県下伊那郡大鹿村 | ||||||
図案 | 塩見岳、県無形民俗文化財・大鹿歌舞伎、道標、鹿塩温泉 | ||||||
備考 |
1990(H2).7.21登頂。塩見岳は南アで一番好きな山。塩川から入山し三伏小屋で1泊。翌日の塩見岳は快晴。北岳まで縦走する。 よく見ると道標の下に入浴中の女性が隠し絵のように描かれている。 |
83 | 悪沢岳 | 局名 | 名倉(なくら)局 | ||||
場所 | 愛知県北設楽郡設楽町 | ||||||
図案 | 南アルプス、名古屋大学山地畜産実験実習施設、町花・シャクナゲ | ||||||
備考 |
悪沢岳は1975(S50).8.4、大学時代の夏合宿で大無間山からの縦走の最後に登頂。二軒小屋から伝付峠を経て新倉に下山。 愛知県の奥三河からは意外に南アルプスがよく見えるものだ。図案説明は南アルプスとなっているが、カシミールで段戸山あたりからの展望図を作ってみると、名倉の文字の下の三山は、左から悪沢岳、赤石岳、聖岳ではないかと思われる。 |
84 | 赤石岳 | 局名 | 生田(いくた)局 | ||||
場所 | 長野県下伊那郡松川町 | ||||||
図案 | 赤石岳、竜峡小梅の花、小渋ダム、特産のマツタケ | ||||||
備考 |
1975(S50).8.3登頂。
大学時代の夏合宿で大無間山から悪沢岳まで大縦走し、その途中に登頂。南ア南部の主稜線の山のほとんどを、この時に踏破。 風景印は郵頼で入手。 |
85 | 聖岳 | 局名 | 木沢(きざわ)局 :(木沢簡易郵便局) | ||||
場所 | 長野県飯田市南信濃木沢 | ||||||
図案 | 南アルプス連峰、霜月祭、特産のクリ・アマゴ | ||||||
備考 |
1975(S50).8.1登頂。大学時代の夏合宿で大無間山から悪沢岳まで大縦走し、その途中に登頂。聖平からのザレの登りがきつかった。 図案説明は南アルプス連峰となっており、聖岳を描いているか確信は持てないが、カシミールの展望図を作ってみると、 兎岳(左)から聖岳(右)の連なりのように思われる。 |
86 |
光岳 ↓ 経ヶ岳 (200名山) |
局名 | 東春近(ひがしはるちか)局 | ||||
場所 | 長野県伊那市東春近 | ||||||
図案 | 経ヶ岳、春近大橋、殿島城址公園 | ||||||
備考 |
光岳は大学時代の夏合宿で大井川鉄道の尾盛駅から入山し、藪こぎに苦しみながら大無間山を経て1975(S50).7.31登頂。その後、悪沢岳まで縦走。 経ヶ岳は未登頂。 光岳の風景印は無い。まあ、これは当然かもしれない。南アルプスには他に代わりになる山が無かったので、残念ながら中央アルプスの経ヶ岳を選定せざえるを得なかった。 |
87 | 白山 | 局名 | 白山山頂(はくさんさんちょう)局 | |
場所 | 石川県白山市 | |||
図案 | 白山山頂の翠ヶ池(みどりがいけ)を描き、黒百合を配す。 | |||
備考 |
白山は二度登っている。一度目は1976(S51).8.19親父と一緒に一ノ瀬からピストン。 二度目は1988(S63).8.1登頂。一ノ瀬から別山に登り、御前峰を経て白山釈迦ヶ岳に回り、一ノ瀬に下山。 花が多かった。 風景印は最初の登頂の時、室堂で押印。現行印は図案変更されている。 ●白山 山頂の現行印 |
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88 | 荒島岳 | 局名 | 富田(とみた)局 | |
場所 | 福井県大野市上野 | |||
図案 | 荒島岳、天然記念物・イトヨ | |||
備考 |
1989(H1).11.12登頂。
勝原スキー場からピストン。山頂はガスで展望が利かず、風が強く寒かった。 荒島岳を描いた風景印は他に、同市内の上庄局くらい。 |
89 | 伊吹山 | 局名 | 長浜東上坂(ながはまひがしこうざか)局 | ||||
場所 | 滋賀県長浜市東上坂町 | ||||||
図案 | 伊吹山、茶臼山古墳 | ||||||
備考 |
伊吹山は何度も登っているが、初めて登ったのは小学生の頃、ドライブウェイの駐車場からピストン。 歩いて登ったのは1883(S58).3.19三合目スキー場から登ったのが最初。 風景印は郵頼で入手。伊吹山を描いた風景印は滋賀県に何局かあるが、いかにも伊吹山らしいものは少ない。 |
90 | 大台ヶ原山 | 局名 | 柏木(かしわぎ)局 | ||||
場所 | 奈良県吉野郡川上村柏木 | ||||||
図案 | 大台ヶ原、大迫ダム | ||||||
備考 |
1985(S60).10.31.日出ヶ岳に登頂。大杉谷を下って桃ノ木小屋泊。滝めぐりを堪能した。 大迫ダム付近から実際に大台ケ原が見えるかどうかは判らない。前衛の伯母ヶ峰あたりに遮られそうな感じもする。 |
91 | 大峰山 | 局名 | 洞川(どろかわ)局 | ||||
場所 | 奈良県吉野郡天川村 | ||||||
図案 | 大峰山の鷹の巣、洞川鍾乳洞 | ||||||
備考 |
1998(H10).9.13山上ヶ岳登頂。洞川から登り、山上の宿坊泊。翌日稲村ヶ岳に登り、洞川下山。 2015.1.20八経ヶ岳登頂。行者還トンネル西口からピストン。 図案説明の「鷹の巣」とは、山上ヶ岳「西の覗」の向かいにある「鷹の巣岩」のこと。 |
92 | 大山 | 局名 | 米子(よなご)局 ●大山を描いた他局印 | ||||
場所 | 鳥取県米子市弥生町 | ||||||
図案 | 大山、皆生温泉街 | ||||||
備考 |
大山は高校の修学旅行で登る予定だったが、集団食中毒に見舞われて、登山中止。やっと1992(H4).10.30になって登頂。
大山寺からピストン。山頂はガスで風が強く、弥山までで剣ヶ峰には登れず。 S50.1.1はこの図案の風景印の使用開始日。 |
93 | 剣山 | 局名 | 一宇(いちう)局 | ||||
場所 | 徳島県美馬郡つるぎ町一宇 | ||||||
図案 | 剣山 | ||||||
備考 |
2003(H15).8.3剣山登頂。見ノ越から登山リフトを使って簡単登山。キレンゲショウマの花が美しかった。 風景印は記念切手「剣山国定公園」の初日カバーに押印されたもの。 |
94 | 石鎚山 | 局名 | 石鎚(いしづち)局 ●石鎚山を描いた他局印 | ||||
場所 | 愛媛県西条市 | ||||||
図案 | 石鎚山と高瀑(たかたる)、登山用の鎖、修験者 | ||||||
備考 |
1997(H9).7.20登頂。土小屋からピストン。鎖場が怖かったが、山頂からの眺めは最高。天狗岳にも登った。 風景印は記念切手「石鎚山国定公園」の初日カバーに押印されたもの。現在石鎚局は存在しない。 現行の風景印で石鎚山を描いたものは、西条市の大保木局、西条西田局などがある。 |
95 | 九重山 | 局名 | 九重(くじゅう)局 | ||||
場所 | 大分県竹田市久住町久住 | ||||||
図案 | 九重山、九重高原放牧場、ウマ | ||||||
備考 |
大学時代に九州旅行を兼ねて百名山巡りをする。1977(S52).12.19九重連峰の最高峰久住山登頂。やまなみハイウェイの牧ノ戸峠からピストン。 風景印は郵頼で入手。 |
96 | 祖母山 | 局名 | 玉来(たまらい)局 | ||||
場所 | 大分県竹田市 | ||||||
図案 | 祖母山、扇森稲荷 | ||||||
備考 |
祖母山は2018(H30).5.31.登頂。北谷登山口から反時計回りに周回。雨で泥んこ道の上、山頂はガスで何も見えず。 祖母山の風景印は無いと思っていて大分県由布院局の由布岳の風景印を入れていたが、祖母山の風景印があることが分かり、入れ替えた。 |
97 | 阿蘇山 | 局名 | 坊中(ぼうちゅう)局 ●阿蘇山を描いた他局印 | ||||
場所 | 熊本県阿蘇市黒川 | ||||||
図案 | 阿蘇中岳とリンドウ | ||||||
備考 |
1977(S52).12.120登頂。火口西から、中岳の火口ふちを回って中岳山頂、高岳山頂を踏む。 風景印は郵頼で入手。 |
98 | 霧島山 | 局名 | 牧園(まきぞの)局 | ||||
場所 | 鹿児島県霧島市牧園町宿窪田 | ||||||
図案 | 霧島連峰、塩浸温泉、新婚旅行の竜馬夫妻 | ||||||
備考 |
1977(S52).12.28韓国岳に登頂。えびの高原からピストン。 牧園町には牧園局のほかに、新婚旅行の竜馬夫妻を描いた風景印が4局ある。 |
99 | 開聞岳 | 局名 | 大山(おおやま)局 | ||||
場所 | 鹿児島県指宿市山川大山 | ||||||
図案 | 開聞岳、ツマベニ蝶、日本最南端・西大山駅、ソテツ、ハイビスカス | ||||||
備考 |
1977(S52).12.26登頂。開聞(ひらきき)神社からピストン。登山道は円錐状の山体をぐるりと一周しながら登っている。海がとても広く見える。 風景印は郵頼で入手。 |
100 | 宮之浦岳 | 局名 | 上屋久(かみやく)局 | ||||
場所 | 鹿児島県熊毛郡上屋久町宮之浦 | ||||||
図案 | 永田岳、屋久島シャクナゲ | ||||||
備考 |
1997(H9).9月に3泊4日の予定で淀川、宮之浦岳、縄文杉と歩く予定だったが、台風接近で民宿から出られず、結局登山は断念。台風通過後もYS-11欠航で、何とか高速船で帰る。 2013(H25).6.12.再チャレンジで登頂。 宮之浦岳を描いた風景印はないが、永田岳は屋久島山中で宮之浦岳の隣のピークであり、同等とみなした。 |
合計 百名山を描いた風景印は全部で94山ある。 百名山は 全て登頂済み。 TOP |
<補足> |
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1. | 図案説明は基本的に「郵政省郵便局監修 風景入通信日附印集」(1962年発行)又は「新版風景スタンプ集 北海道・東北編」 「同 関東・甲信越編」「同 東海・北陸・近畿編」「同 中国・四国・九州編」(2001〜2002年発行)による。 |
2. |
風景印の多くは郵頼により入手しているが、同じ山の図案が複数ある場合の選定基準は以下のとおり。 ・その山の山容、雰囲気をよく表しているもの。 ・地名から山の名前が類推できるもの。 ・登山に関わりのある風物が描かれているもの。 ・風景としてまとまりがあるもの。 |