三上( みかみやま)                        [滋賀・湖南]   432m

 

 先週、浜石岳に行った時に使った「青春18切符」がまだ1枚残っていて、以前から気になっていた三上山に出かける ことにした。
 三上山は琵琶湖の南の平野に散らばるいくつかの山のうち最も目立ち、近江富士とも呼ばれる三角錐の山。 俵藤太のムカデ退治の伝説でも知られているが、近頃の人はこんな話は知らないだろうなあ。私自身、子どもの頃の本で読んだきりで、どんな話だったかよく覚えていない。(こんな話だったらしい)
 新幹線で関西方面に向かう時に車窓からよく見えて、一度登りたいと思っていた。400mそこそこの山で、鈍行で行っても時間的には何とかなるので、「青春18切符」にはぴったりの山だろう。

 JRの野洲駅から歩き始め、駅近くの野洲郵便局に寄って風景印を入手する。ここの風景印には三上山が描かれている。
 街並みを抜け、サッカーで有名になった野洲高校のグランドの横を行くあたりから、正面に三上山が見えてくる。近江富士の名前から独立峰のイメージがあるが、 近くに丘があって、すっきりと富士山のように見える方角は限られるようだ。

麓から見上げる三上山
 

 三上山に登る前に、麓の御上(みかみ)神社に立ち寄る。ここの神社は三上山に降臨した天御影(あめのみかげ)の神を祀っている。
 本殿は国宝で、小さいながら整った形をしていて、漆喰の白壁と回廊が寺院のような雰囲気を出している。特に屋根の描く曲線が素晴らしいし、回廊の束石に花びらが刻まれていたりして、細部にも心配りがされている。普通の神社の本殿のように玉垣で囲われておらず、直ぐ近くまで近寄れる所がいい。 先ほどの風景印には三上山とともに御上神社の本殿も描かれている。
 

国宝の御上神社本殿
 

 御上神社を出て国道8号を渡ったところで悠紀斎田(ゆきさいでん)の看板が目に付いた。こんなところにも悠紀斎田があったのかと、ちょっと驚く。

 悠紀斎田というのは、天皇の即位の際に行われる大嘗祭において、神前に献ずる新穀を作るための田んぼで、東日本で悠紀、西日本で主基(すき)と呼ばれる斎田が、 即位のたびに1箇所ずつ卜占される。
 我が家の比較的近くに大正天皇の即位の際に点定された悠紀斎田があるのだが、こちらのは昭和天皇即位の時の斎田とのこと。我が家の近くの斎田では毎年6月にお田植え祭りが行われているが、こちらではどうだろうか。

悠紀斎田と三上山
 

 いろいろと道草をくって、やっと登山口にたどり着く。民家の間にある登山口にはなんと フェンスが張ってあって、「猪が出没しますので門を開けたら必ず閉めてください」という登山者向けの注意書きが掲げてある。こんな所にもイノシシがでるのかと感心する。

 そこからはいきなりの急傾斜で、石段が続く。自然石の不ぞろいのものが多い。すぐに暑くなって、上着を脱ぐ。
 少し登ると廃屋と建物の基壇が残っている平場にでる。ここが妙見堂跡らしい。少し休んで、基壇の後ろに続く登山道に進む。
  登山道はなおも傾斜がきついが、丸太の階段などがよく整備されていて歩きやすい。まだ暑くて、ダウンベストも脱いで山シャツだけになる。

石段が続く登山道
 

 割岩への標識に導かれて右手の踏み跡に入ると、目の前に大岩が現れた。ガイドブックには割岩を抜けて登っていくように書いてあるが、岩と岩の隙間は体を横にしなければ通れない程の狭さだ。ザックを背負ったままではとても通れない。
 脇道を登って岩の上に出て、ザックを下ろして上から岩の隙間に入ってみる。何とかと通れるが、岩に押しつぶされそうな感じがする。上に戻ろうとすると膝が曲がらなくて、登りにくい。下るのは楽だが、登りで通り抜けるのは難しい。

 手摺の付いた岩を登りきると展望岩があり、東側の展望が開ける。風が弱く暖かいのでもやってしまって遠望は利かない。比叡山は薄っすらとしか見えないし、琵琶湖ももやと区別が付かない。琵琶湖の眺めを期待していたので、残念。

割岩
 

 

 展望岩のすぐ上が山頂で、鳥居と小さな祠があった。鳥居の前に磐座とおぼしき岩が鎮座しており、注連縄が張ってある。山頂の西側は樹木が茂っていて、展望はない。
 登ってくる途中で2人の下山者に会ったが、山頂には誰もいない。しばし静寂の中で昼飯を食べる。
 

山頂の鳥居と磐座
 

 下山は西側の花緑公園の方に下りる。樹林の中の道で全く展望は利かない。ジグザグに下りる道もあるが、最大傾斜線に沿った健脚向きの道を転げ落ちるように下る。

 20分ほどひたすら下ると、広い作業道のような道に出た。これが公園の遊歩道らしく、標識にある森林センターの方向へ進む。
 道は山腹を巻くように付けられていて、公園園路らしく、谷には小奇麗な橋が架かっている。右手には公園の建物らしきものが見えるが、どんな公園かは分からない。

花緑公園を見下ろす
 

 こかげのコルの標識で左折すると、すぐに東光寺越らしき鞍部に出る。これを右折して北尾根縦走路に入る。ここから三上山の北に続く妙光寺山を目指す。
 踏み跡は尾根上に付いているが地形が複雑で、要所に設置されている金属やプラスチック板の小さな標識がありがたい。

妙光寺山(真ん中のこぶ)
 

 道は風化花崗岩の砂ザレで、いくつものアップダウンがある。尾根や山腹の木々の間から大岩が所々顔を覗かせている。
 周りの木は細いアカマツ、ネズ、ヒサカキ、ソヨゴなどで、愛知県で言えば瀬戸や西尾あたりの山の感じとそっくりだ。この辺りは都に近く、薪や炭を供給するために長い時代に渡って木が切られ続け、土地がすっかり痩せてしまっているのだろう。陶磁器生産のために木が切られた瀬戸とよく似ていると言える。妙光寺山の北に見える田中山はもっと痩せた感じで、岩だらけに見える。

 田中山への分岐を右に分け、なおも進むと北側への下山路の分岐に出る。下山の前に妙光寺山のピークまで行って見るが、樹林に囲まれて展望はなく、小さな山名板があるだけだった。

逆光の三上山
 

 少しヤブがうるさい道を下っていくと標識があって、70m程脇に入った所に磨崖仏がある。
 大岩に浮き彫りにされたもので、ちょうど人の背丈ほどの大きさ。もっと大きなものを想像していたが、意外に小さかった。しかし、鎌倉時代の様式をよく示す貴重なものらしい。
 磨崖仏の前に石仏なども置かれているのだが、なぜか信楽焼きの狸も置いてあり、場違いな感じで雰囲気を壊している。

妙光寺山磨崖仏
 

 磨崖仏を過ぎると登山道はよく整備されていて、ここまでは訪れる人が多いのが分かる。わずかな下りで登山口に出たが、ここにも扉が設けてあった。近くの畑も柵で囲まれており、やはりイノシシが出るようだ。
 野洲駅に戻る途中に一部中山道を通るところがあったが、あまり街道の雰囲気はなかった。


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[山行日] 2007/1/12(金) 
[天気] うす曇のち晴れ
[アプローチ] JR岡崎 7:53 →(特別快速)→ 8:55 大垣 9:06 →(普通)→ 9:44 米原 9:53 →(新快速)→ 10:17 野洲
[コースタイム] 10:30 野洲駅 (0:45) 御上神社 (0:20) 妙見堂跡 (0:40) 三上山山頂 (0:20) 花緑公園遊歩道 (0:15) こかげのコル (0:25) 田中山分岐 (0:15) 妙光寺山山頂 (0:10) 磨崖仏 (0:10) 登山口 (0:30) 野洲駅 15:10     (計3:50)
[ガイドブック] 新・分県登山ガイド24「滋賀県の山」(山と渓谷社)
[地図] 野洲(1/25000)


   
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