(仮)竜泉寺山(りゅうせんじやま) [三河] 186m |
我が家から見える山第二弾。
(こんな山までHPに載せるんか!シリーズかな(^^;) 11月に登った京ヶ峯の左側、本宮山の右側に見える山で、カシミールで展望図を作って調べてみると、どうもこれらしい。標高わずかに186.3m。地形図に山名はない。 |
地形図には登山道が載っていないので、南側山麓の寺を目指す。古びた小さなお寺の前に車を止める。隣の民家の飼い犬が不審者と見て、いつまでも吠えている。 最近修理した跡がある門に「妙雲山新泉寺」と書かれた板が懸かっている。本堂の横に観音堂の文字と簡単な図があったので、山頂への道があるかもしれないと登ってみることにした。
墓地の横を抜けるとよく踏まれた細道が山腹に沿って東に続いている。じわじわ登る巻き道をたどると、小さなお堂があった。
外壁に「ようこそお参り下さいました 観音堂」とゆがんだ字で書いてある。 |
|
南側山麓から見た竜泉寺山
|
稜線にも道はなく、ヒサカキやネズミサシ、カシなどの雑木の間をくぐりながら高い方に登る。時々振り返りながら帰り道を確認する。再び林床がウラジロに覆いつくされてしまい、またまた踏みつけて登る。 |
傾斜が緩くなって、じきに三角点のある山頂に着いた。カシやシイに囲まれ、眺望はまるでなし。登ってくる道もなければ山名のプレートもなし。ただ、空き缶や木の幹の落書きあるところをみると、まるっきり人が登らないことはないようだ。三角点の回りもつい最近刈払われたような感じの切り株がある。 三角点に腰掛けてみかんをひとつ食べる。
|
|
山頂の三角点 |
道がないか西の方に進んでみるが、稜線上の踏み跡はすぐに途切れてしまった。登ってきた踏み跡を下るしかないかな、と思って引き返し始めたら、北の斜面に割としっかりした踏み跡があった。 踏み跡は感じのいい落葉樹の斜面を真っ直ぐ下っている。途中には大きなヤマザクラの木もあり、このあたりならまた来ても良さそうだ。 あっというまに落ち葉の斜面を駆け下って、新興住宅地の中のみちに飛び出した。ここでも庭先の犬に吠えられる。 |
|
北側斜面の踏み跡を下から見上げる |
全く山の反対側に下りてしまったので、地図を見ながらぐるりと山すそを回って帰る。竜泉寺川沿いの道は春先にでも歩けば、里山の雰囲気が味わえそうだ。 ただ、変質者に注意の看板が立っていて、男一人では歩きづらい。(女性一人ではもっと歩きづらいのか。) のんびり歩いて、車を置いた寺まで戻った。また、犬に吠えられる。 ちょうど出てきたその家の人に山の名前を尋ねたが、「分からんなあ。」との返事。隣の総代さんなら知ってるかもしれんが、と言われたがそこまでする気はなく、名前の分からないまま帰った。 |
|
道すがらの梅の花
|
家に帰ってから国土地理院のHPで再度調べてみたら、「点の記のイメージ表示」というのがあって、北側から登る略図が載っていた。ちゃんと調べておけばヤブこぎしなくても済んだのに。 でも、まあ、低い山だから、このくらいでないと面白くないか。 |
[山行日] | 2003/2/8(土) | |
[天気] | 曇り | |
[場所] | 愛知県岡崎市竜泉寺町 | |
[コースタイム] | 新泉寺 (0:25) 竜泉寺山山頂 (0:15) 北側登山口 (0:30) 新泉寺 (計1:10) | |
[地図] | 幸田(1/25000) | |
[おまけ1] |
「龍泉寺村」は明治11年から22年まで存在した村名で、明治22年に桑谷村と合併して龍谷村となり、昭和30年に岡崎市に合併されたようです。 水野日向守さんのHP「愛知県地名変遷」を参考にしました。 |
|
[おまけ2] | このHPを見られた方から、地元ではこの山のふもとの地区を「後山」と呼んでいるとの情報がありました。この(仮)竜泉寺山が後山かどうかは分からないそうです。(2003/12/18) |